チラシの裏に書く寝言

強引に こねてまとめて とりあえず焼いた

ある馬の物語 ー2023年7月1日の客席より

 

観劇直後に書いたと思われるメモのライブ感がいい感じだったので、だいたいそのまま載せました

 

 

 

劇場に入った瞬間、まだセット建設中なんです!とでも言い出しそうな光景が広がっていてギョッとした。

高く組まれた鉄骨の足場や、所々に張られたビニール、資材置き場のようにあちこち区切られたスペースと乱立するカラーコーン。

とにかく無機質で埃っぽい臭いのしそうな工事現場でしかない空間と、作業員のような出で立ちで開演前に舞台上や客席に現れた役者さんたちの異様な空気にそわそわしながら座っていた。

 

一人の作業員が足場から落ちる。そのまま捕獲されるかのごとく大きなビニールシートに包まれて、高く吊り下げられた透明な中でもがく姿は羊水にでも浸かっているみたいだなと思った。

そしたら本当に膜を突き破ってズルリと産まれてきて、“ある馬の物語”の始まり始まり。


 

現代的な、しかもこれから描かれる物語とも共通点のなさそうな工事現場の光景が最初に差し込まれた意図はわからないままだったけれど変にそこを引きずることはなくて 、むしろこの導入があったからこそ劇場に着くまで物理的にも時代的にも遠い話だと思っていた壁が崩れて私の生きる現代とどこか地続きであるような感覚があった。なんなら途中でマチエのエキゾチックな衣装を見て、そういえばここロシアだったなとハッとしたほど場所に対する抵抗感は薄れていた。

もしかしたら本当はもう少し違和感を感じたほうが良かったのかもしれないけど…

 

厩舎にしても元々私の持つイメージがぼんやりしているので、ワイルドな馬さん達の衣装も相まってこういうかたちもありなのかなぐらいですんなりと受け入れてしまった。

馬といえば…ホルストメールがまだ仔馬だった回想の場面、きゅるっきゅるの瞳で蝶々を追いかけるのとか、もっと成長した姿で立派な筋肉をもって躍動するのとは違う小さいからこその軽快な飛び跳ねかただったりとかで、ただでさえ二足歩行で人の言葉を喋っているのに人間でも猫でも犬でもない計算され尽くした関節の使い方が馬にみえるっていう異常事態なのにさらに年齢による変化までみせてきてて凄い通り越して恐怖だった。




『長く生きたのは罪かもしれない。その罰は受ける』とホルストメールは言っていたけど、そういえば幸か不幸かこの馬は随分と丈夫だったなと。脚が悪くなっても辛い治療に何度も耐えて、病気になっても老いぼれても労働させられながら、何処かで衰弱してもおかしくなかっただろうにそれでも生きていた。

輝いていたと感じる時間よりも過酷な環境で生きていた時間のほうが長かっただろうに彼の言う3つの不幸の中に“長生きした”は入ってないんだよね。

 

反対に公爵はすっかり落ちぶれてしまってもう生きているのも嫌だと言っていたのに。昔は良かった自分は若くて美しくて稼ぎもあったと、今のみすぼらしい姿じゃだれも信じてくれないその栄光をあたり構わず振りかざしていたのに。ホルストメールは老いぼれだと若い馬たちにイジメられた時でさえ、自ら進んでは彼の立派な過去を語ろうとはしなかったのに。

そういうところからかな?人間を徹底的に愚かに、そして馬を気高く描く対比の構図を強く感じたのは。

ホルストメールはヴャゾプリハが自分以外の馬を選んだ事に酷い嫉妬をしたせいで去勢されたし、人間に所有されることを不幸と呼びつつ公爵の馬であったことに喜びを感じる矛盾があったから、本当は一概には馬のほうが凄い!とも言い難いのだけど…それを持ってしても人間より馬のほうが素晴らしいと言われている気がした。




物語は幕を閉じカーテンコール…と思ったところで語られたホルストメールと公爵の最期。

処分された馬はその辺に放って置かれて、野良犬や狼に食べ残されて唯一残った大腿骨二本と頭蓋骨は農夫が農具か何かを作るのに役立てた。

もうすっかり皆から疎まれるようになっていた公爵のブヨブヨの遺体には立派な軍服を着せて長靴も履かせて上等な棺桶に入れて埋葬したって。『そうしなければいけなかった』って強調してた。遺体の状態からしてすぐに発見されたわけでもなかったんだろうね。あーあ、名誉有る人間サマは最期までなんの役にも立ちませんでしたねと言われてるみたいだった。

成河さんは顔のまだら模様を拭い別所さんは口髭を外して語ってたけどあれは誰だったんだろうね。役者でもない、舞台上に存在した役でもない、もっと普遍的な誰かとしてこちらに伝えたかったのかな。

でも馬の善い行いというやつが何かわからなかった。人間に尽くすこと?

『人間は一生のうちに善い行いをするかでなくて、所有をいかに増やすかで~その点で馬は人間より一段勝ってる』って台詞あったよねひと幕目で。 

 

他にも自信家の表現一つとってもミールイのそれは鼻について公爵にはそう感じなかったの、 ミールイは軽薄でとりあえず楽しければよくて周りから褒めそやされ深く考えずに調子に乗って見えて、公爵は大そうなナルシストでもあるけど褒めそやされる為に派手に着飾り堂々たる態度であるように思えたからかな(ここで嫌な印象を与えたら意味がないというか) どう見られたいかが先に来てしまう人間の業なのかなと。




所有するものとされるものみたいな話しでもあったと思う。

マチエが公爵から逃げた時やヴャゾプリハがイケメン馬のミールイにコロッと落ちた時どうして?って思ったけど、いくら相手に愛されていても自分のもの扱いしきてもそこに縛られる義理はなくて、本能としてより美しく優秀な相手を選ぶのは間違っていないしそもそも彼女達は自由であるはずなのに「何故?」って疑問が浮かんでしまう自分のほうが、彼女達が既に別の存在に所有されているという無意識の価値観に縛られているんだなと気づいてちょっと嫌だった。でもやっぱり、回想で仔馬のホルストメールを見つめるヴャゾプリハの表情があんまり優しかったから、斑の変な馬とかって吐き捨てるのはやっぱり薄情すぎでは…?とも思う。

 

ヴャゾプリハとミールイが不透明なビニールの向こうでいちゃついてる時、そこに映し出されたミールイの横顔がとっても綺麗でイケメンはシルエットまでイケメンなんですね…って思ってなんかちょっと面白かった。

ヴャゾプリハの衣装はどこかのブランドのジャージをカスタムしてたのかな?華やかでカッコイイ。柳のようにしなやかな足取りで座る姿も美しくて、価値のついた馬だってひと目でわかる。あと音月さんの腹筋めちゃめちゃイカシてる。私もあれになりたい。




あれだけ感動的な抱擁のあとに『臭いな』と一言残して去ってしまった公爵は、あのときもし斑の馬だと気づいたとしたら連れて帰ったか?

素晴らしい馬だったと連呼していたけどあくまで当時の記憶を慈しんでいただけ、見た目がよく似ているだけで(というか同じ馬だけど)能力のすっかり衰えてしまった馬を現実を受け入れて大事にできたかというと違う気がする。そもそも1回売り飛ばしたわけだし…

ホルストメールの方もそうで、誰も愛さず皆から愛されていた公爵を愛し誇りに思っていた馬が、今の誰からもろくに相手にされていない男の家に行って幸福を感じられるのか?でもよく考えたらみっともなく喚いて半ば呆れられてる姿を目の前で見ても公爵に擦り寄り号泣していたわけだから、あれは本当に公爵への情だったのかも。ここういうのも馬の高貴さと人間の愚かさの違い?




ハーネスを付けられて処分される時、『また治療か?よし来い』って言ったのがより最後を無情なものにしてた。治療は辛いって分かってたのにまだそれでも治したくて、生きる気力があったんだね…

 

二幕の馬の最期は作品のラストとして歌あり出血ありで照明の印象も強くてドラマティックに観客の印象に残るように作ってるけど、一幕目の話の流れの一部として提示された誰の目にも止まらないような、紙くずをゴミ箱に捨てるような呆気なさの方がよりリアルなものだった気がする。

最初にあの惨めな最期を見ていたから、どれだけホルストメールが楽しく過ごしていてもあの姿がちらついて胃がじくじくと蠢く嫌な感じがあったし、これ2回繰り返す必要あったの?この場面もっかい見なきゃなのって最初は思ったけど、最初は観客のために、最後はこの物語のために必要だったのかなとか。

 

バケツに入った真っ赤な塗料を空中に吊られた透明なビニールシートにぶちまけることでホルストメールの死を示していたのは視覚的なインパクトが強かった。戯曲との関連性は汲み取れないにしても、工事現場のように組んだセットだからこそできる表現で面白かったし、シートを洗うか交換するかすればいいから床を血糊でベチャベチャに濡らすより掃除が効率的で良さそうだなとも思った。

あと、ソリで駆け抜ける馬の躍動感を鉄骨のシーソーで表してたのもこの空間ならではでワクワクした。




尽きることのない所有欲、老い、美醜というレッテル、なぜ人間はこうも愚かなのか、我々はどのようにして生きていくべきなのか。

普遍的なテーマをダイレクトに投げかけられつつも、歌や生演奏や圧倒的なパフォーマンスの面からも楽しめたのは嬉しい誤算だっし、予想外に別所さんの歌がたくさん聴けて有難さ100割増だった。

 

舞台上の人々が“今この人歌ってるな”と認識してるような、歌手なんかのパフォーマンスとして歌が使われてたり生演奏が売りだったりするのが音楽劇で、心情や状況すら歌で表現していてその向ける先が客席にあるのがミュージカルだと思ってて特にこの作品の一幕は後者の面がかなり強かったし馬達は華麗なステップまで踏んでたんだけど音楽劇と銘打たれてて両者の違いはわからなくなった。けど楽しかったからOKです。

 

 

 

 

 

----------------------------------------------
ある馬の物語
東京公演
世田谷パブリックシアター

2023/06/21(水) ~ 2023/07/09(日)

音楽劇『ある馬の物語』 - 世田谷パブリックシアター