チラシの裏に書く寝言

強引に こねてまとめて とりあえず焼いた

スリル・ミー 松岡/山崎ペア ー9月18日の客席より

 

 

 

(私)松岡広大×(彼)山崎大輝  ピアニスト:篠塚祐伴

 

2021年には配信でしか観ることの出来なかったヤマコーペアの、念願の生観劇。

ですが2年前とは全く違う印象で、瑞々しいスピード感を残しつつも成熟した空気が加わり、より重苦しい後味を残す二人になっていました。



 

山崎彼、2年前よりもずいぶんスマートな振る舞いをする彼になっていたと思います。

頑張って背伸びしているお坊ちゃん感が減り三揃えのスーツも華やかに着こなしていましたし、何より無理に虚勢をはり松岡私をサンドバッグにする様子もありませんでした。きっと周りと交流する時もそつなく完璧な姿を保っていて、誰もそれを疑うことはないのではと。

でも外側を綺麗に取り繕った分だけ、その仮面は以前のものよりも薄く脆く、中身はより幼くなっていたように感じました。

燃え盛る炎を前にして綺麗だと呟いたその一瞬、山崎彼の表情が今にも泣き出しそうなものに見えたんです。

それからも事あるごとにキュッと眉根を寄せて小さな迷子のような顔をしていて、不安な、寂しそうな姿が常に隠せておらず、こちらもそんな“彼”にどう向き合っていいか分からずおろおろとしてしまいました。

 

この作品の“彼”という存在は、社会や家族の抑圧からくる狂気や加害性を抱えていて、自分の事を盲目的に慕ってくるのをいいことに“私”を理不尽に振り回している。

やがて殺人という取り返しのつかない所まで進んでしまうほど肥大した自尊心が、今まで虐げていたと思っていた“私”に完膚なきまでに叩き潰される。

役者さんによって色の違いはあれど、わたしがこの作品に対してざっくりと抱いている大枠はこんな感じで、“彼”に対しても多少の同情はあれどまあ因果応報だよね、馬鹿なことをしてしまったものね。という気持ちでした。

ただ大変に困ったことに、今年の山崎彼からはそういった凶悪な要素が感じられなかったんです。 

 

そして反対に松岡私が山崎彼よりもたちの悪い存在に思えました。

山崎彼からすれば松岡私は自分の思い通りになる相手だったんでしょうけど、どう見てもあれはわざと折れている。

二年前の松岡私なら絶対出来ないような真正面からの反論や露骨な呆れ顔をみせながらも、ふいと口を噤んで言う事を聞いたのは決して怯んだからではなく、どうせ聞かないからと仕方なしに付き合ってあげていたようで。

その判断は彼らが対等でも松岡私の方が弱いわけでもなく、まるで駄々をこねた小さな子供をなだめすかして上手いこと誘導している親のようであって、あくまで主導権はこちらにあるぞという余裕の表れにも見えました。

そこまで出来るなら山崎彼のことを止めるなり助けるなりすれば良かったけれど、なんだか松岡私がそういう行動をとる姿は想像ができないしやらない気がするんですよね。二人が出会ってしまった時点で破滅の道しか用意されていなかったように思います。

 

そんな実質的な力関係が私優位の状態で迫るスリル・ミーは思わず目を背けたくなる場面でした。

もうね、契約書を出した時点で松岡私はかなり強気。

『ここで破り捨てて欲しい?』と本気で今すぐ破りそうなぐらい指に力が入っていたけれど、仮に自分で破いたところでこの関係を終わらせるつもりはないし、契約書を手に取った山崎彼が破くとも思っていなさそうでした。

そうして押し倒される直前の山崎彼、目線がすうっと下がっていって、呆然とした中にも“どうして自分がこんな目に?”と悲しみが浮かんでいるように見えて、性的接触に怯えてさえいるようでした。

やがて操られた抜け殻のように起き上がり、蒼白な顔の奥に思い詰めた色がわずかに沈んでいたのも痛々しくてもはやこれは契約書を盾に取った“私”から“彼”への暴力なんじゃないかと。どう考えても絶対駄目。本気でもうやめてくれと思いました。

 

でも不思議なことに松岡私が求めたものって、快楽を伴った肉欲ではなかった気がするんですよね。

山崎彼に触れられたときの松岡私のリアクションは、嬉しいとか恍惚とするとかそういった特別感のあるものではなくて、ただ触れ合っていることが当然というようにぴたりと寄り添っているように見えました。そうして触れてくれると思ったのに期待が外れた時なんかにあれ?と少し驚いた顔をしたりしていたので、もう我慢できないと迫っていったのも既に踏み込んでしまった肉体的な距離の近さやそれを当たり前と思っている認識自体を否定されたと思って憤っていたのかなと。

 

 

 

どちらがより相手に依存しているかといえば、実は山崎彼の方がその度合いは強そうでしたね。おそらく気を許しているということすら自覚はしていなかったでしょうけど。

別の大学に移ったのもちょっと親離れに挑戦しただけに思えてしまって。

裏切られそうになっても他の彼達のような怒りをぶつけることはなくて、むしろ松岡私の気持ちが自分から離れてしまったが故にこんなことになっているんじゃないか?という思考に陥って酷く動揺しているように見えました。

『誓っただろ!裏切らないって!!』そう詰め寄る声も迷子センターで心細く待っていた子が迎えにきた親に逆ギレしちゃったような必死さでしたし。

それに松岡私のことをそこまで見下したり支配している意識はなかったんじゃないかなと。

『お前はなんて天才なんだ!!』こう明るく弾んだ声には無邪気な憧憬の念すらありました。

それから二人で脅迫状を読み上げる時にもちらちらと松岡私の表情をうかがっていて、自分が書いたものなのにまるで先導されながら一生懸命ついていっているかのようないじらしさで。

あまり自分の頭脳を過信しているように感じなかったんですよ。むしろいつも必死で考えているようで。

超人であることを証明したいと言いつつも、犯罪に求めたものは刹那的な現実逃避だったように思えました。

目の前の苦痛から気を紛らわす事だけに囚われたそれはかなり衝動的な自傷行為のようでもあって、自分の心を守ろうとするあまり無自覚にエスカレートしてしまったようでした。

 

そんな状態で、この行為を止めるつもりがない、なんなら助長してしまいそうな松岡私にすがるのは相手を間違ってるよ!!と思ったけれど、知能の特異さも相まってお互いがお互いのことを一番わかってる/わかられているという依存めいた閉鎖的な認識から、もう離れるに離れられない半身みたいなところまで行きついていたんじゃないかなと。物心ついて少し経った頃には二人はもう一緒にいたような気がして、食い気味な台詞のやり取りも相手がどんなリアクションをするのかがある程度見当がつけられる関係だったからこそではと。失うことのできない大事な存在には変わりないけれど、愛や恋かと問われるとそういった甘やかな響きのものとは少し違うものかもしれません。

“彼”が“私”にレイと呼びかける声、これも各ペアの関係性によって蠱惑的であったり威圧するようだったりと様々に聞こえますが、山崎彼の呼び方には故意に織り込まれた感情は見当たらなかったんですよ。それだけ当たり前に、ずっと前から馴染んでいた響きだと思いました。

ただ、端からみると二人で一つになりきるにはその形はあまりにも歪であったなと。たしかあの夜のことのあたりが顕著だったと思うのですが、会話や二人で歌う場面のあちこちにおそらく意図的にリズムやタイミングを崩しているんだろうなと感じられる部分があって、振り付けなんかでも普段はピタリと完璧に揃えている分ぐにゃりと気持ちの悪いズレが見せたときに二人の噛み合いきれなさが現されているようで、まるで不穏なこの先を暗示しているかのように思えて無性に不安な気持ちになりました。

 

 

 

『本当は俺がなりたかったのはああいう弁護士だ』って、この期に及んでなに威張りくさってるんだこいつは?と大抵は思うのですが山崎彼はもう叶わない夢を諦念を持って語ったような印象で、ちょっと口に出してみたかっただけなんだろうなと。

狭い視野で必死にもがいていた山崎彼が、最も先を見ている凪いだ場面でした。

 

そこからの松岡私の告白に対しても山崎彼は激しく感情を揺さぶられてはいないように見えました。

当然最初はちょっと引いているし驚きや負けたくない気持ちはあったけれど、自分を陥れた相手への憎悪や絶望や恐れでパンクしそうな感じではなかったというか。むしろ今まで幼さが全面に出ていた山崎彼がまっすぐ松岡私を見据えて正々堂々と同じ土俵で戦おうとしているようでした。

まあ、元々松岡私の方が優位に見えていたし現状でもそれは変わらないのですが。

なんで最後の最後だけこう感じたんでしょうか。もしかして山崎彼に完全に拒否されたくなかったという松岡私の意識が、この証言の結末をこんなふうに見せたのかなとか。

 

そう、54歳の松岡私によって語られる記憶には、どこまでが事実なのだろうかという引っかかりがずっとあったんですよね。

『彼の…友情が必要でした』明らかに言葉を選んだ間に、理由はどうであれ虚偽を織り交ぜる意思をありありと感じましたし。

誘拐の提案や眼鏡が見つからないとポケットをまさぐる時にびっくりするくらい白々しい物の言い方をしていたのも、流石に山崎彼もこんな態度を取られれば何か思うのではないかと気になったのですが、もしかしてこれは証言の中にしかいない松岡私なんじゃないかなと思えてきて。

『何を知りたい』そうぞんざいに吐き捨てられた言葉には何度も同じ話をすることにうんざりとした非協力的な気配があったことと、回想の中でも特に犯行に関わりがありそうなやり取りで声が不自然にうわずって聞こえたのもそう感じた一因な気がします。

なのでこれは絶対わざと眼鏡を落としたタイプだ…!と思いつつも松岡私がなぜその選択をしたのか、言葉通り山崎彼を手に入れたかったのか捕まってでも犯行がエスカレートするのを止めたかったのかもっと別の何かなのかがいまいち確証が持てず。

明らかに胸に一物ある表情をしていたり、血の付いたタオルを嫌そうにしながらもやけに冷静にカバンに押し込めたり、この“私”には何かあるぞとこちら側に思わせていたところにも何となく得体のしれない気味の悪さがありました。

 

『自由...?』と呟いた松岡私の瞳は揺らいでいるようで。

それまで迷う事なく突き進んできて、証言だってわざと出鱈目混ぜていそうな強固な意思の奥からみえたはじめての戸惑いでした。

山崎彼のいない世界で与えられる自由、そんなものはあるのか?途方もない孤独に気付かされてしまって、自分の信念がざらざらと崩れていくかの如く歪んだ表情はこの物語からなんの光も見いだせないことをまざまざと見せつけられているようでした。




そして山崎彼はその闇の中でも最も深い黒に塗りつぶされてしまっていると感じました。

作中で起こった犯罪行為については当然今までも色々と思うところはありましたが、今回は“彼”の置かれた状態のどうしようもなさ、明らかにその性質がないのに罪を犯してしまったこと、そしてその最期の報われなさを思って終始息苦しさを感じていました。

今まで様々なペアを通してこの作品に触れてきましたが、ここまでハッキリと気分が悪い物語だと自覚したのは初めてで自分でも驚きました。

とにかくもうやめてくれ、これ以上山崎彼を壊さないでくれと。

そんな荒んだ情動に追い打ちをかけたのが死にたくないでした。

無機質な青白さの中で途方にくれてしまったような歌は庇護者に必死に手を伸ばそうとする小さな子供のようで、馬鹿だね自業自得だよと指を指して笑うこともできないほどに寂しげで痛々しくて見ていられない。

ちゃんと守ってあげなければいけない子だったのに!

だって自分の犯した罪の重さも理解できそうにないほど無垢で繊細で幼いじゃないか!

2年前には一緒に転がり落ちていった松岡私が、今回は山崎彼を手のひらで転がしていそうな印象があったり証人として信用するに足りない存在に思えたのもあって、余計に山崎彼が孤独で保護が必要な未成年であるという感覚がきわだち、それなのに為す術もなくころがり堕ちていってしまった凄惨さに強い憤りと胸の痛みを感じました。

普段ならそういった痛みすらも「こんなに悲しくなっている自分」として快感の様に食べ尽くしてしまうのですが、今回はそうも出来ない心地で。

 

そうやって頭のてっぺんまでどっぷりと感傷に浸ってから突然、もし目の前で事件が起こっても自分はこんなふうに犯罪者に同情するのだろうかと背筋に冷たいものが走りました。

中身が幼くて可哀想な境遇ならひどくセンチメンタルな眼差しを向けて、最悪罪を償わなくてもいいと思うのか?

当然そんな事は無いと思いたいし現実と作品の世界を混同するなという話なのですが...

元々実在の事件が題材になっているというのもありますが、この回の松岡さんと山崎さんの芝居は「これはあくまでフィクションだから何があっても大丈夫」という舞台上と客席の間に無意識に敷かれた境界線を軽々と飛び越えてわたしの日常に踏み込んできた気がしました。

あってはいけない可能性。ソレが見えてしまったことに恐怖と具合の悪さを感じました。

(蛇足ですが、別日の公演ではまた全く違う受け取り方をしました。なので、わたしがこのペアに特に思い入れを持って観ていたせいで過剰に感情を揺さぶられたとかではないはずです…多分……)




今まで、スリル・ミーはその内容のショッキングなことよりも作品としての面白さが勝っているから何度でもどんなものでも観たいと思っていましたが、もう一度この時の感性のままこの日の公演を観たいかと問われれば二度と観たくないです。

なぜわたしは決して安くない金額を払ってこんなに出口のないしんどさを感じているのだろうか?まだこのペアの公演を観る機会があるのに耐えられるのか。そんな気持ちが浮かぶほど胸の悪くなる展開はまるで舞台上からの挑戦にも思えて、こちらもなんとか負けじと椅子にしがみついている100分でした。

 

最大の賛辞として書かせてください。

この日、わたしは心の底から嫌なものを観ました。

 

 

 

 

 

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スリル・ミー
東京公演
東京芸術劇場 シアターウエス

2023/09/07(木) ~ 2023/10/03(火)

https://horipro-stage.jp/stage/thrillme2023/