チラシの裏に書く寝言

強引に こねてまとめて とりあえず焼いた

桜の園 ー8月19日の客席より

 

 

 

演出に関して好意的ではない感想を多く述べています。

それでも大丈夫だよ!という方のみご覧いただければ幸いです。




全体を通して面白いとかつまらないとか出来がどうとかを語る以前に、とにかく自分とは合わない作品だと感じました。

普段出先で一人でお酒を呑むことなんてまずないのに、このままだと耐えられないかもしれないと幕間にロビーのカフェに駆け込んでビールを流し込んでしまうほどで、そんなことをするなんて自分でも驚きでした。

それだけこの作品とどう対峙したら良いのか分からず困惑していたのだと思います。

どうして今回そこまで合わないと感じたのか、今後の自分のためにもできるだけサクッと言葉にして残しておけたらなと思います。




観ている間中ずっと、周波数の合わせどころが分からないなという気持ちが消えませんでした。

明らかに古典をオーソドックスに演る感じではないのだろうな、あえて壊して新しいものを作ろうという気概が感じられるなとは思いました。ただその先が私には見えてこない。

やたらと笑わせてくるけれど喜劇と受けとるには何か違うような気がして、真面目な中にもクスッとできる話…と品良く纏めるには過剰で、不条理的なシュールさを強調したいわけでもない?

どことなく雑然としていて、登場人物たちの話し方や間の取り方があらゆるカテゴリから1cmくらい浮いているような心地でした。

 

そのせいなのか、その時々の作品によって無意識に定めていた「こういうふうに観る」という気持ちの核みたいなものを持つことができませんでした。

話は理解できないけどとりあえず流れに乗ってみる、誰か一人の心情に心を寄せながら観る、登場人物の関係性に注目する、とにかく目の前の情景を楽しむ。

そういった土台が自分の中にない不安定な状態で更に集中力を切らす要因になってしまったのが現代風な台詞と演出です。

普段から聞き馴染みのあるような軽いトーンで台詞が話されていたかと思えば突然いかにも芝居ですといった時代がかった大仰な言い回しが飛び出してきたりして、あれ?となったり。

この登場人物は古典的な話し方をします!でもこっちの人は現代風です!といったようにその人の個性として一貫してくれれば全体としての統一感が無くても納得はできるけれど、同一人物内でも定まっていない印象だったので引っかかってしまって、その内容にまで意識が行かなくなってしまったんですよね。

 

視覚的な面でも随分と突飛な演出が多く、蝉の声が渦巻く中突然ビニールプールが現れたり、某ディスカウントショップで調達してきたかのようなキッチュな仮装で乱痴気騒ぎのパーティーが起こったり。

プールの場面は衣装もぐっとラフで現代的になって、まるで物語の軸から切り離した誰かの心象風景のよう。普段なら写実的でない表現手法に対してなにこれ!?と感じそこから考えを巡らせることに快感を覚えるタイプなのですが、既に小さな引っかかりが積もりに積もって喉に刺さった魚の小骨の如く嫌な主張をしてしまっていたので、あまりにも日本の夏を思わせる情景やコートを持ってきて欲しいという誰かの台詞にも過剰に反応してしまい、ここどこ!?暑いの!?寒いの!?っていうか今なんの話しているんだっけ???と疑問ばかりが脳を圧迫してしまいました。

 

まさか戯曲にそんな指定があるのかと思って一応この感想を書く前にざっと確認してみたのですが、少なくとも私が読んだ青空文庫のものにはそういった記述はありませんでした。

逆にお笑い要素で無理やり付け足したと思っていた、突然かき鳴らし歌い上げるギターや不意に貪りだすキュウリのくだりは元々あるものだと知って驚いてしまいましたが。でもそれも淡々と描写されていて、おそらく今回のオリジナルと思われる観客が予期していなかった派手な水着姿を役者に曝させて取る笑いと同等のテンションに仕立て上げる手腕はある意味凄い。

それと、あっちから出てきて言いたいこと言ってこっちに引っ込んでいく。みたいな噛み合わない言葉と人物が交錯し続けているなとは思っていたけれど、それも笑いのための要素の一つぐらいにしか思えていなかったので、登場人物たちの会話が思っていた以上に成立していないということにも戯曲を読むまで気づけませんでした。

真面目そうな話で笑わせにかかってくるなとは一切思いませんが、どうしてそういう作りにしたかったのか本当に汲み取ることができず、だんだん笑って良いのかどうかすらも分からなくなってしまいました。

 

そんなひねくれた私の気持ちとは反対に、この日の客席はストレートによく笑っていましたが、流石にパーティーの場面ではどこかついていけていないような困惑の空気があるように感じました。

これまた唐突な、クラブかの如く鳴り止まないビートと猥雑な照明、狂ったように踊り飛び跳ねる登場人物たち。そして誰か誰かパッと見で分かりづらいケバケバしい仮装のまま繰り広げられる普段通りの会話。

舞台上が盛り上がれば盛り上がるほど、おいてけぼりをくらったようで冷めてしまう私の気持ち。

PARCO劇場は横にちょっと広めなので全員で集まって騒いでも空間が余っている気がして、それもなおさらこの場面に対する空虚感を強めていました。

 

そしてもう一つどうして!?となってしまったのが突然ハンドマイクを使用して演説のように客席に語りかけていたことです。

特別そのような内容の台詞でもないのにまるでバラエティ番組で司会者が観覧席に向かって話しているようで、客席と舞台上の垣根を越えるためのものだったのか、単に装飾的な演出だったのかわかりませんが私にはノイズに感じてしまいました。




根本的に戯曲との相性が悪かった可能性もあるんですけどね。

どうして桜の園の住人達はロパーヒンにこれだけ力説されても短絡的で一時しのぎの手段しか取ることができず、だからといってこのまま朽ちていく覚悟もないのだろうとイライラしてしまいましたし。

明らかに屋敷を守る手を打たなかった自分が悪いのに買収された事にショックを受けて泣いているのは同情できず...それを描くことで何かを示したかったのかもしれませんが観劇中の私の思考はここで止まってしまいました。

この点について考え出すとだんだん卵が先か鶏が先かみたいな状態になってしまいそうなので今回は一旦置いておきますが…

 

桜の園の住人達がもっと前向きに行動していたなら、ロパーヒンはあの場所をすべて壊してしまうほどの強行はしなかったんじゃないかなと思いました。

出迎えの時だってあんなに嬉しそうに興奮して彼らを慕っている様子だったし、結構自分が土地を買収しても、『買ってやったぞ』と躍り出たわりにその笑顔は空虚で、代々農夫という搾取される側だった人間がついにこの土地で支配者として立つ喜びよりも虚しさが勝っているようでしたし。

ロパーヒンにとってもこの選択はベストではなくて、彼らがちゃんと自立し協力していく未来もあっただろうし、そうすればちょっとぐらい桜の木や屋敷を残す選択がとれたかもしれない。

 

甘い考えだよと言われそうですが、八嶋さんの演じるロパーヒンが成り上がりで目先の利益だけの嫌な奴ではなく、泥臭くもどこか愛嬌があったのでこの人ならもしかして…という希望があるように感じてしまいました。

その親しみやすい空気や巧みな話術で、一歩間違えたら客席中を冷え込ませてしまいそうなノリでも見事に独壇場にして笑いに包む芝居も圧巻でした。

 

それから天野さん演じるドゥニャーシャが好きで彼女が舞台上にいるとついつい目で追ってしまっていました。

階級社会におけるメイドという立場の割に振る舞いも心のあり方も随分と自由な彼女。求婚してきた男に気のある素振りを見せつつも他の男に情熱的に縋ってしまう奔放さとほんのりとコケティッシュな仕草で魅せつつも、清潔な空気を感じられる絶妙なバランスが魅力的でした。

 

それまでの騒々しいやりとりと打って変わってじっくりと噛みしめて語るようなフィールスの最期を演じた村井さんにも目を奪われました。

病院に行ったのでは? と疑問にも思ったのですが、あれはただ一人時代に残された者の象徴としての表現だったんでしょうか…

この場所こそが我が人生と仕えてきた家で静かに幕を閉じられたのなら他の登場人物たちよりよっぽど潔く幸福であったような気もします。

ここだけ別の作品かと思うほどに穏やかな静寂に包まれた場面でした。

 

それから忘れてはいけないのが永島さん演じる作業着姿の男。出番や台詞はそれほど多く無いけれど、その僅かな時間で暴力的なほどの異物感を放っていました。

その毒々しいオレンジ色の服装や手に持つチェーンソーが浮いているというだけでなく、一人だけ飄々とした空気は得体が知れず不気味で、桜の園を脅かす脅威そのものが具現化してきたようでした。




他にも、乱痴気騒ぎの奥で柵の上に一幕では無かった有刺鉄線がもうこの状況から逃げられないとグロテスクに主張する様子や、深刻な話の最中にクマの着ぐるみの被ったスーツの男が息子の亡霊のように三輪車で通り過ぎるシュールさ、がやがやとした台詞の応酬の中で屋敷のミニチュアだけは静かに息を潜めて佇んでいる不気味な光景など。

冷静になって振り返り細かい場面を切り取れば面白いなと感じる部分は沢山あったはずなのに、観劇中は本当にどうしていいかわからない気持ちや疑問ばかりが先行してしまって、振り落とされないように掴まっていなければいけない状況で耐えきれず自ら手を離してしまいました。

もしかしたら、古典に対して実験的な演出が売りと心構えができた上で観ていればこのやりきれない気持ちはもっと小さかったかもしれません。

全く前情報なしでの観劇チャレンジも考えものだなと思うと同時に、予想と違う作品に対しての自分の適応能力の無さも痛感した公演でした。

 

 

 

 

 

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桜の園
東京公演
PARCO劇場

2023/08/07(月) ~ 2023/08/29(火)

桜の園 | PARCO STAGE -パルコステージ-