チラシの裏に書く寝言

強引に こねてまとめて とりあえず焼いた

森 フォレ ー7月11日と24日の客席より

 

 

 

もうこの作品も観劇した日から1年経ってしまったのですが、未だに自分の気持ちにどう折り合いをつけたらいいか判断しかねているんですよね。

演劇作品としての出来は素晴らしかったと思うのに、そう感じた事実をどうにも肯定しきれない引っかがりがずっと残っている気がして。

だからといって観なければよかったとは全然思っていなくて、困ったなぁと思いながら時折箱から取り出しては掌に乗せてしげしげと眺めているような、そんな感覚をずっと持っています。

 

 

 

現代から19世紀まで140年を遡り8世代に及ぶ人々を描く壮大な物語というふれこみ、 事前に悲劇喜劇に掲載されたものを読んだ人達が口を揃えて難解だという戯曲、加えて公式からわざわざ人物相関図が出される状況に、処理能力が貧弱な私の脳味噌はついていけるかしらとかなり心配していたのですが完全に杞憂でした。

舞台上では違う時間軸を生きる人々が同時に存在したり時代や場所が突如移り変わるなど、それらが複雑な人間関係と共に森の中の迷路のように交錯し蠢いていたのですが、ネタバレ有りとの事であえて目を通さなかった人物相関図無しでも物語に置いていかれる事はありませんでした。

いつの時代の誰の話かが衣装やさりげない台詞で明確に分かるように演出されていたので、今目の前で起こっている事に没入して、台詞の詩的な表現を味わっているうちに自然と流れに乗って行けるような感覚があって、やがてバラバラに映し出されていた一つ一つの場面が時代を超えて繋がって行く構成には爽快感すら感じました。

 


ただ美しい言葉選びをするだけでなく、いくつかの台詞はそれぞれ別の人物から繰り返し発せられていたのも興味深かったなと。

特に覚えているのがレオニーとサラの『服を脱がせて世話をしてあげたけれど、目を覚すのが怖くて抱きしめるまではしなかった』と、ルーとオデットの『私は全部ほしいの、今すぐに、そしてそれが大きくて見事で、仰天するようなものであってほしいの』って台詞なんですが、同じ言葉でもその度に違う意味を持って聞こえて、でも言葉自体の印象はどんどん強まっていくのが好きでした。

 


美術もシンプルでありながら印象的で、舞台の中心には切株の年輪のような模様のある強い傾斜のついた大きな円があって、そのまた中心の別の傾斜のついた小さな円と一緒にぐるぐると渦を巻いているように見えて、眺めていると吸い込まれてしまいそうだなと。

そしてひとたびその上に役者が立つと、彼らはまるで小さな円を中心に軌道を描く惑星のようで、大きな円はその周りに広がる宇宙のようにも思えて、その光景がとても美しかったのを覚えています。

 

 


一度目に観たときは、ルーとダグラスの関係の着地点は救いだと思ったんですよね。

血を継承する、子供を宿す、誰かと約束を交わす。まるで呪いのように描かれたこれらが常にべっとりと纏わりついて、壮大なのにどこか閉塞的な空気を漂わせるこの物語に大きく風穴を開けたルーとダグラス。

『君が困ったときは助けになる』物語の終盤で発せられたダグラスのこの約束は、作中で幾度も交わされてきたそれとは違い苦痛を伴うものではなくて、『もし僕に娘ができたら、君みたいに育ってほしい』という台詞も男女が肉体関係を持ち血を繋いで来たそれまでの継承の仕方ではなくて、二人のやり取りにはまるで今までの連鎖を断ち切ったような爽やかな開放感を感じました。

 


それなのに、どこかでああ良かっためでたしめでたしと片付けることが出来ない違和感が残り、それが何なのかハッキリさせたくて急遽用意した二度目の観劇。 

最初は救いだと思った約束の場面、ダグラスがプレゼントとして贈ったコートの真っ赤な色を目にした途端にゾッとして鳥肌が立ってしまいました。そんなに優しい笑顔でなんてものを渡してくれたんだダグラス…しかも『あなた好みの色じゃないけど』って分かってて敢えてその色なんだね…と。

 


観劇中にもうっすらとそんな気はしていたし、実際パンフレットの衣装設定にも書かれていたことなんですが、この物語において赤い色は母の象徴なんですよね。そして黒は父親。

衣装さん曰くダグラスの黒いジャケットには父親の遺品というイメージもあったそうで。物語の最後にそのジャケットを脱いだ姿で現れるダグラスは、自身を雁字搦めにしていた父親との約束から開放されたようにみえました。

それなのに、その時ルーは自らの意志で赤いコートを羽織っているんですよ。

母親の象徴であり、彼女自身の母であるエメも冒頭で着ていたような赤い色。そしてあれだけ誰も好きにならない子供も持たないと吐き捨てていたのに、自分も命を繋いでいくことを示唆するような台詞を言うんです。それはまるでこの物語に描かれた母という存在と役割を彼女が受け入れた証拠であるかのように思えて、花びらにもみえる真っ赤な紙吹雪が祝福のごとくふりしきる情景がとても美しかった分、反比例して自分の中に黒いものが溜まっていくようでした。

 


初回は雰囲気に呑まれてなんとなく目を反らしていたんですが、二人の着地点が今までの男女の関係性や役割といったものから本当に決別したものであれば、赤い色もまだ見ぬ我が子への言葉も必要ないんじゃないかとハッキリ気づいてしまったんですよね。

リュディヴィーヌの描かれ方は子供を産めないと女じゃないし価値が無いと突きつけられているようで嫌悪感を感じて、もう少し演出でこちらへの伝え方をどうにか出来なかったのかなとか、リュスが歯を全て抜かれてしまうのはあまりにも唐突かつ他の悲劇とは毛色が違い過ぎてどうなのよとか色々思うところはあったけれど、過去を生きた女性達の社会的な扱われ方に関しては概ね“こういう時代があった”と受け止めることが出来たんです。

でもルーは現代を生きる女性で、そこにはもっと自由があるはずじゃないのかなと。なんの葛藤もなくその選択をさせてしまって良いのか?子を宿し血を繋ぐことはそんなにも神秘的で尊く絶対的なものなのか?と疑問が湧き上がってきてしまって、これはもはやこの物語における呪縛というよりも作者から女という性に対しての理想の押しつけじゃないかとすら感じてしまいました。

 


私はこの戯曲を書いたムワワド氏とはおそらく信仰も違えば彼のように内戦から亡命してくるような壮絶な経験をしたこともなく、大変有難いことに比較的安全な場所で安穏と生きてきて、結婚は不便なだけだと思っているし自分の遺伝子が入った生命をこの世に産み落とすなんて恐ろしい事は想像するだけで吐き気がすると感じている人間なので、命を繫ぐということに対する価値観が最初から大きく違うんだろうなというのは重々承知しています。

 


それでもルーの選択に強い拒否反応を示してしまったのは、私が彼女の事を気に入り過ぎてしまったからかなと。

お世辞にもキチンとした身なりとは言えない姿と乱暴な物言いの中に、どこか根っこの部分の純粋さと愛情深さが滲んでいるギャップが魅力的で、いつの間にか彼女の事を目で追って応援している自分がいて、途中で「ルーにそんなに色々背負わせないであげてよ!」と憤る程でした。自分の居場所の見つけ方も世界との関わり方もわからず、ただ毒を吐き獣のように周りを威嚇することしかできなかった、彼女の歳の割に未成熟な部分に少しだけ共感を覚えたのもあるかもしれません。

だからこそ、私が嫌だと思っている結婚や出産を容易に受け入れる姿を見るのが嫌だったのだと思います。

自分の腹の中まで覗きこんで少々感情的になってしまいましたが、これはあくまで私が勝手に思っただけでルーはあの結末で良かったのかもしれないし、良かれと思って自分の理想を押し付けた結果相手を苦しめる様子は劇中でも幾度も描かれていたのに、まさに自分もそれをルーにやっていないか?と不安になって来てしまいました。だから一旦この話は終わり。

 

 


ルーとダグラスの着地点に限らず、二度目の観劇時のほうが観ていてしんどいなと感じる場面が多かったんですよね。

続けて観ることで話がより深く理解できるようになったからなのかと思ったんですが、それに加えて遠い席から俯瞰で見ることによって、こちらの心を感動に導いてしまいそうな生身の人間の力強い情動からは距離をおいて、美しい箱庭の中で繰り広げられる継承という名の暴力や戯曲のグロテスクな部分が強調されて見えたのだと思います。

 


特にそう感じたのが、人を疑う事すら知らないような青年だったアルベールが自らが最も嫌悪する権力を振りかざす存在に成り下がってしまったところ。その権力の象徴のような豪奢な父親のコートがボロボロになってもなお纏い続けていた様子もおぞましくて、陰惨な夜の幕開けに大きく映された不気味な影と一緒に印象に残っています。

暴君と化した父親の独り善がりな楽園に閉じ込められて若さを持て余し、外の世界を見て人を愛したいと願ったエドガーの痛烈な叫びにも息苦しくなる場面でした。

エドガーやエドモンの思想からして幼い時にはちゃんと倫理的な教育もしていたようなのに、美しい楽園を夢見た青年は何処へ消えてしまったんでしょうか…

 

 


もともと観ていて辛くなるものには一切触れたくないという質でもないし、場面場面で切り取れば好きなところも沢山ある作品だとは思うんです。

書くタイミングが分からなかったのでここでねじ込むんですが、絶対に交わることの無い時空が一瞬だけリンクした光景が妙に情緒的で、アルベールに拒絶されたアレクサンドルが沈痛な面持ちで歩く雨の中を、傘を差したルーとすれ違って一瞬彼女が心配そうに振り返る場面がとても好きでした。

 


そんなふうに演出と魅力的な登場人物達と圧倒的な演技の凄さに当てられて、「感動した 面白かった」とこの作品を絶賛したくなる気持ちも分かるんです。私も前方で観た時は全てをねじ伏せられてそういう感情に引っ張られそうになりましたし。

でも冷静になればこの戯曲が描いたものは私の思想には合わない気がして、やっぱり手放しでそういった感想は言いたくないなと。

そんなふうに立ち止まって考える力を一瞬でも鈍らせてしまう演劇って、自分が思った以上に威力があって怖いものなんじゃないかなという気がして来て。芸術によって、うっかり思ってもいない方向に扇動される可能性を自覚した作品と言う意味でも、とても印象に残る観劇体験でした。

 

 

 

 

 

 

 


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森 フォレ

東京公演

世田谷パブリックシアター

2021/07/06(火) ~ 2021/07/24(土)

https://setagaya-pt.jp/performances/202107mori.html